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平昌オリンピックで羽生結弦選手が金メダルを取れた理由とは?

こんばんは、高田です。

今日は、歴史的な快挙を成し遂げた羽生結弦選手の勝因を考えてみたいと思います。

とは言ってみたはいいものの、スケート靴を履いたことすらない僕がそんなことを語れるのか心配でなりません。

月並みですが、オリンピック2連覇というのは並大抵のことではないでしょう。羽生選手は信じられないほどの努力を積み重ねたのだと思います。

ただ、オリンピックという舞台で表彰台をかけて戦うレベルの選手の努力や能力の差は紙一重であり、結果は終わってみなければ誰にもわからないものだと感じました。(特に採点競技であるフィギュアスケートに関しては…。)

「努力すれば必ず結果は出るというわけではない」というのが世の常だと、多くの人が知っています。

では、あなたは何によって結果が決まると考えていますか?

結果のほとんどは「奇跡」が起こす

僕自身、何事も器用にこなすタイプではなく泥臭いコツコツタイプだからだと思いますが、このブログでは努力についてのお話がよく出てきます。

しかし、これまでに自分が結果を残したときのことをよくよく振り返ってみると、そのために積み重ねた努力が結果の全てを決めたかというとそうではないように思います。

テニスの試合で格上の選手に勝ったとき、結果の全てが自分の努力によってもたらされたのではなく、むしろその逆で結果のほとんどが自分のコントロールできない部分によってもたらされたと思うのです。

なにか自分の人生において大きな転機になったとき、自分が努力をしたからチャンスを掴んだのではなく、タイミングや条件がピッタリと合ったからチャンスを掴めたのだと思うのです。

このような明らかに自分の努力ではどうにもならない大きな力を感じたことがある人は多いでしょう。

つまり、何が言いたいのかというと、どうせ結果はほぼコントロールできない「奇跡」や「運」が決めてくれるのだから、その存在を知り、信じ、味方にすることが大切だということです。

僕は、努力というのはそれらの存在に気が付くための大切な行動だと思います。

これでもかというくらい努力を積み重ねると必ず努力では説明できない部分が出て来るからです。

誰にもコントロールできないけど結果を決める上で最も大切な役割を占めるのが「奇跡」や「運」だと、僕は思うのです。

まとめ

考えたことをバーッと書きだしたら、何か怪しい宗教的な感じになってしまいました…。(笑)

ただ、よく考えると宗教というのはこのような考え方から成り立っているのだとわかりました。

自分のコントロールできることというのは限られているからこそ、コントロールできない部分を「神」という存在にゆだね、それによって起こった結果はどうであったとしても受け入れ、「神」に感謝するというのは道理に適っているのです。

オリンピックに出場している外国人選手が記者会見の第一声で「まずはこのような素晴らしい舞台に立てたことを神様に感謝します」といったような発言をするのはそのためだと思うのです。

努力によってコントロールできる部分は確かにあります。だから、努力を積み重ねることは結果を出す大前提です。

ただ自分の努力を過信して何でも自分の思い通りになると思ったら、本当に結果を左右する「運」や「奇跡」の存在に気付くことすら出来ません。

だから、「努力をすること」と「「運」や「奇跡」を味方にすること」の2つが出来た羽生結弦選手が信じられない結果を出したのだと僕は思うのです。

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