こんにちは、高田です。
最近は、じぶんビジョンをはじめとした僕たちが提供する教育プログラムの更なる進化を求めて、
そもそも教育とはなんのために生まれ、変化してきたものなのか?
AIをはじめとしたテクノロジーの発展で、教育の目的はどのように変わるのか?
を考え続けています。
今日は、これまで13年間子どもの教育に携わってきて、僕なりのこれからの教育のあり方について、現時点での見解をまとめておきたいと思います。
最後には、自分にプレッシャーをかけるためにも、じぶんビジョンの今後の構想についても書こうと思うので、ぜひ読んでから各々プレッシャーをかけにきてください。
そもそも教育とはなんのために生まれたのか?
日本の教育は、江戸時代までの寺子屋や藩校からスタートし、明治維新以降は国家主義的な近代教育に変化し、戦後以降は経済発展に伴い受験制度の大衆化が進みました。
公教育と民間教育によっても異なりますが、大きく捉えると教育は国や社会からのニーズに合わせて生まれ、変化してきたものと言えます。
つまり、教育とは子どもをはじめとした被教育者のためのものではなく、その人たちを国や社会などの集団の一員として統合するためのものであるということです。
もちろん、これが良いとか悪いとかではなく、そもそも既存の教育はそうやって生まれてきたものだという意味です。
しかし、その文脈で生まれてきたものであるがゆえに、今の時代に日本の教育の目的が合いにくくなってきているのは確かでしょう。
これからの時代の教育のあり方とは?
では、教育はこれからどのように変化していくのでしょうか?
ここからは僕の意見をわかりやすく伝えるために、公教育と民間教育に分けて書いていきます。
日本の公教育やそれに準じて発展した民間教育は、今後も大きく変わることなく残り続けると思います。
ただし、統合装置としての役割は弱まり、社会的セーフティネットとしての役割が高まるでしょう。
これはこれでとても重要な役割を担うことになると思います。
一方で、民間教育は大きな変化を求められると思います。
なぜなら、AIをはじめとしたテクノロジーの進化によって、国や社会という概念を遙かに越えた規模の集団のニーズがガラッと大きく変化するからです。
しかも、その集団の概念すらも固定されることなく変化していくでしょう。
ここまで書いて、教育者ならばもっとかんたんな言語化をしろよって思ったので、
AIが人間生活のほとんどの役割を代替できる = 今人がやっているほとんどのことが無意味になる世界線で、人だけができる役割の能力を上げるような教育が求められるということです。
僕は、現時点で人だけができる役割とは以下の3つだと思っています。(今後もっと少なくなると思います。)
- 意味づけ
- 共感
- 関係性の構築
これをふまえて、僕が思うこれからの時代の民間教育の目的は、
意味を失うあらゆることに対して、魅力的な意味づけをし、それを表現し、人々を先導する能力を育むこと
だと思います。
そう考える理由を詳しく説明したいのですが、ここに書いたら何時間かかるかわからないので、ここでは割愛します。
じぶんビジョン(目標教育)が見据える未来
じぶんビジョンをはじめてから約3年、スポーツ、勉強、留学などさまざまな分野で子どもたちの目標設定から達成までをのべ200人以上、常時在籍40人の伴走をしてきました。
目標と計画を立てるところから、期日まで日次・週次でフィードバックを1対1で回し続けるという超力業で、結果を残してきました。
最初、この目標教育をはじめるタイミングで、壁打ちの機会をいただいた多くの方から「良いプログラムだと思うけど、まだ類似教育サービスが市場にないってことは無理なんじゃない?」的な意見をいただくことが多くありました。
でも、当時10年以上民間教育の現場にいて、日々試行錯誤をしていた僕は、このプログラムの可能性を信じ切れていました。
その結果として、たくさんのお子さん・親御さんに成長と成果を感じていただけているのです。
あ、これは決して自慢ではありません。
3年間やってみた今、当時と同じようにじぶんビジョンの新たな可能性がみえてきたということが伝えたいのです。
じぶんビジョンのメソッドが確立され、充分な伴走データが蓄積してきたことで、AIをはじめとしたテクノロジーの活用の目処が立ってきました。
また、これから大切なのはものごとに自分なりの意味づけ(目標設定)をする能力です。さらに、それが周りの人たちに魅力的に映り、その人たちを先導できる能力があればなおよいでしょう。
つまり、これからの教育に求められることとじぶんビジョン(目標教育)はマッチしており、さらにこれまで以上に多くの方に供給できる可能性もみえてきたということです。
正直、まだまだじぶんビジョンの課題、テクノロジーの課題は山積みで不透明な部分もあります。
ただ、これはいけると思います。
(いけると思うと言って、自分にプレッシャーをかけているのはここだけの秘密です。)
これまでも僕はできるまでやればできるというモットーのもと、できるまでやってきたので大丈夫だと思います。
ぜひ、これからも教育やAIの議論をして下さる方、じぶんビジョン×AIに興味を持っていただける方はご一報ください。
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